秀吉が育てた武将たち

秀吉は、年上あるいは同年代の武将達を味方に付ける事もさることながら、
年端のいかない幼い者の才能を見出し、そこから優れた武将を数多く輩出した。
秀吉に見出され、育てられた若い武将たちは、
秀吉の死後にやってくる新たな時代においても、活躍の場を持つことになる。


 
【山内一豊】 (1545年~1605年11月1日) 32歳(秀吉40歳の時)
信長に仕えた後、秀吉の与力となった人物。
顔に重傷を負いながらも敵将を討ち取った功績を持つなど、豊臣幕下の大名として多くの武功をあげた。 秀吉の死後、徳川家康率いる東軍に勢力が集まるよう積極的にとりまとめたといわれる。 この功績により、家康より土佐国を与えられることとなる。

【仙石 秀久】 (1552年2月20日~1614年6月13日) 25歳(秀吉40歳の時)
仕えていた武将が織田信長によって滅ぼされたことにより、 信長の下で台頭していた羽柴秀吉の家臣として仕えることとなり、多くの武功をあげる。
戸次川の戦いで、彼の無謀な策により豊臣軍が退廃し、所領を没収されてしまうが、
小田原の役で挽回し大名に返り咲いた、数少ない武将である。
秀吉の死後、徳川家康と懇意であった秀久は早くから徳川氏に接近、関が原の戦いでは東軍として参戦し、
家康の息子・秀忠が将軍就任した後も重用された。

【加藤清正】 (1562年7月25日~1611年8月2日) 15歳(秀吉40歳の時)
秀吉の遠戚であるといわれ、秀吉が幼少期から育てた家臣。
武勇に優れ、多くの戦で功績を挙げた。 築城の名手としても評価されている。
秀吉死後、家康の家臣となり、熊本藩主を命じられた。

【福島正則】 (1561年~1624年8月26日) 16歳(秀吉40歳の時)
秀吉とは親類にあたり、幼少より秀吉に仕えた人物。
秀吉死後、家康に付いて豊臣側の石田三成と対立した。

【蒲生氏郷】 (1556年~1595年3月17日) 21歳(秀吉40歳の時)
幼少期に信長の人質となったが、才を見出され、信長の娘(冬姫)と婚姻を結ぶ。
信長死後、秀吉に仕え、会津若松の基礎を築いた。 36歳の若さで会津の領主に任ぜられたが、わずか40才で死没。 秀吉が亡くなる3年前のことである。

【浅野長政】 (1547年~1611年5月29日) 30歳(秀吉40歳の時)
秀吉の親類にあたる長政。
秀吉の臣下として活躍し、後に五奉行筆頭に任命された人物である。
秀吉死後、関が原の戦いでは家康側に付き、功績をあげる。
その後、家康相談役として江戸幕府に滞在した。

【石田三成】 (1560年~ 1600年11月6日) 17歳(秀吉40歳の時)
秀吉の信長家臣時代から秀吉に仕え、
秀吉亡き後も、豊臣氏に最後まで忠義を尽くした人物。
秀吉死後、前田利家とともに実質豊臣氏を支えたが、
利家没後、勢力を増強した家康と対立する。
その後、関が原の戦いにて破れ、41歳で死没した。

【大谷吉継】 (1559年~1600年10月21日) 18歳(秀吉40歳の時)
幼少期から秀吉に使え、本能寺の変の後、 柴田勝家と秀吉の戦いで大手柄を立てたといわれる。 吉継30歳のときに敦賀城主となった。 秀吉の朝鮮出兵の際には、石田三成らとともに明へ渡り、物資輸送などにおいて手腕を発揮したといわれる。
関が原の合戦にて、三成とともに家康と対立するが、 小早川秀秋の裏切りによって敗退、自害する。享年42歳。

【藤堂髙虎】 (1556年2月16日~1630年11月9日) 21歳(秀吉40歳の時)
浅井家、織田家、羽柴家など主君を何度も変えた武将として知られる。 不忠義者として捉えられることもあるが、実際には仕えた主君を裏切ったことはない。
羽柴家では、初めは秀吉の弟である秀長に仕えたが、 秀長・次に秀保と主君を失い、出家したところを、秀吉により召還される。 秀吉死後は、いち早く家康に接近、徳川家の重臣として仕えた。
築城の名手もいわれ、多くの城を築き、江戸城改築にも携わった。

【竹中半兵衛】 (1544年9月27日~1579年7月6日) 33歳(秀吉40歳の時)
軍師として名高い半兵衛。
その才能に惚れこんで、臣下になってくれるよう秀吉が頼み込んだといわれる。
36歳の若さで亡くなり(秀吉はこの時43歳)、秀吉は非常に嘆き悲しんだとされる。

【黒田官兵衛】 (1546年12月22日~1604年4月19日) 31歳(秀吉40歳の時)
竹中半兵衛とともに秀吉の軍師として活躍した人物。 秀吉が信長家臣時代には、孝高は他の武将に仕えていたが、 織田信長の才能を評価していた孝高が、当時の主君へ、信長に仕えるよう進言したとされる。
本能寺の変後、秀吉の中国大返しに貢献したともいわれる。 その後、孝高は出家し、秀吉死後の「関が原の戦い」では家康側に従軍、 嫡男である長政は大きな武功をあげる。
その後は、静かに隠居生活を送り、59歳で死没した。

 


         
         



 
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