豊臣秀吉と 「浜松」 飯田人形のある磐田市とはお隣にある 「浜松市」にまつわる逸話。 徳川家康ゆかりの地としての逸話が多く残る浜松市だが、 実は、家康の前に、秀吉が足跡を残した場所でもある。 秀吉がまだ若く、「藤吉郎」と呼ばれていた時代の逸話である。 秀吉は、家を出て奉公先を探していた。 そこで辿り着き、初めて武家奉公をしたのが、 現在の浜松市南区頭陀寺町(当時の頭陀寺城)である。 秀吉は、頭陀寺城の城主、松下加兵之綱(かへいゆきつな)に、 15歳前後から約3年間仕えたとされる。 彼は雑多な仕事にもよく働き、目をかけられていたという。 また、こんな逸話がある。 馬の世話をするにあたり、飼料となる草を刈り集める仕事があった。 秀吉は、他の人よりもたくさん草を刈ろうと、 鎌の切れ味を確かめるため、近くの池の「葦」を毎日のように試し切りしていた。 そのため、毎日のように刈り取られた葦は、ついには片側の葉しか生えなくなってしまった、らしい。 秀吉の、任務に対する高い意識が垣間見えるエピソードである。 この後、秀吉は織田信長に仕えることになるが、 この時の恩義を忘れなかったとされ、後に松下加兵之綱を召し出し、逆に家臣として所領を与えたとされる。 【引用】 NET de びぶれ様 http://www.vivere.jp/hiroba/group/12.php |
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